2009年06月22日

細胞生物学(さいぼうせいぶつがく、Cell biology)とは

細胞生物学(さいぼうせいぶつがく、Cell biology)とは、細胞を研究対象とする生物学の一分野。全ての生物は細胞からできており、細胞生物学は生物学の基礎となっている。

古典的には細胞学と呼ばれ、主に細胞内の構造を記載する学問だった。近年は分子生物学的、生化学的手法を導入し、細胞生物学という名前で現代生物学の仲間入りをしている。細胞学と呼ばれた頃からの伝統で、電子顕微鏡や各種光学顕微鏡を用いた形態学的な解析が重要な領域を占め、細胞を構造レベルから理解しようという研究傾向がよく見受けられる。
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分子生物学、生化学、遺伝学、生理学、解剖学などの分野と密接に関係し、それらの間との明確な研究分野の壁はなくなってきているが、細胞レベルの研究に焦点を当てていることが特徴である。あるいは、手法に軸をおいた学問体系(生化学、分子生物学等)と研究対象に軸をおいたもの(細胞生物学)に何らかの形で境界を設けようという発想は、現代生物学においてはほとんど無意味なのであろう。

また、不等分裂や細胞極性等、従来細胞生物学が扱ってきた現象が、発生に重要な役割を担っていることが明かになり、発生生物学とも密接に関連しあってきている。

2009年06月04日

政党交付金(せいとうこうふきん)とは

政党交付金(せいとうこうふきん)とは、政党の活動を助成する目的で国庫から交付される資金。日本においては政党助成法に基づいて一定の要件を満たした政党に交付される。なお、政党が政党要件を満たさなくなっても政治団体として存続する場合には、政党であった期間に応じて特定交付金が交付される。政党助成金(せいとうじょせいきん)とも呼ばれる。

日本において、企業・労働組合・団体などから政党・政治団体への政治献金を制限する代償として1990年代の政治改革論議において浮上し、1994年に政党助成法を含む政治改革四法が成立し導入された。

助成金の総額は国民1人あたり年間250円で決められる額で、直近の国勢調査で判明した人口を元に計算される。2007年の総額は2005年の国勢調査により約319億4000万円である。その半分は1月1日現在の政党の所属議員数の割合に応じて配分され(議員数割り)、もう半分は直近の国政選挙の得票率(衆議院総選挙と過去2回の参議院通常選挙)に応じて各政党に配分される(得票数割)。ただし、全ての政党が助成金をもらえるわけではなく、国会議員数が5人以上であるか国政選挙での得票率が2%以上の政党のみが受け取ることができる。なお、国政選挙での得票率が2%以上の政党であっても、国会議員が最低1人は在籍していないと受け取ることができない。得票率が2%に設定されているのは、民社党と統一会派を組んでいたスポーツ平和党が1992年参院選において獲得した得票率が2%であり、「2%を越える得票を受給資格とすれば、自分達が受け取れなくなってしまう」と強く主張したため。

国は、政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならないとされる。政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を使用しなければならないものとされている。このため、政党交付金の使途報告の制度が設けられている。
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実際に政党交付金の交付を受けるに当たっては、「政党交付金の交付を受ける政党等に対する法人格の付与に関する法律」の規定に基づいて法人となっていることが必要であり、要件を満たす政党は、中央選挙管理会に届出をし、その確認を受け、主たる事務所の所在地で登記することにより、法人となることができる。

2009年05月01日

千姫

千姫(せんひめ、慶長2年4月11日(1597年5月26日) - 寛文6年2月6日(1666年3月11日))は、安土桃山時代から江戸時代の女性で、豊臣秀頼・本多忠刻の正室である。父は徳川秀忠、母は正室の江。号は天樹院。

慶長2年(1597年)5月26日、秀忠と江の長女として、山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれる。 慶長8年(1603年)に7歳で秀頼と結婚し、乳母の刑部卿局とともに大坂城に入る。秀頼とは従兄妹にあたるが、たいへん夫婦仲睦まじかったという。慶長20年(1615年)19歳の時、大坂夏の陣では、祖父である家康の命により落城する大坂城から救出される。その後、秀頼と側室の間の娘奈阿姫が処刑されそうになった時に千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける。

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元和2年(1616年)、桑名藩主本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。この時、津和野藩主坂崎直盛が輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てていることが発覚し、直盛は自害(もしくは家臣により殺害)、坂崎氏は改易処分となった(千姫事件)。一説には大坂城落城の際、千姫を救出した者と千姫を結婚させるとの家康の言葉を受けた直盛が、顔に火傷を負いながらも千姫を救出したが、直盛の器量が悪いことから千姫が結婚を嫌がり、結局美男の本多忠刻と結婚することになったという。直盛の襲撃計画はこのことを恨んでのものとされ、長く信じられていたが、現在ではそもそも大坂城で直盛が千姫を救出した話自体が疑わしいとされている(実際には堀内氏久という豊臣方の武将に護衛されて直盛の陣まで届けられた後、直盛が秀忠の元へ送り届けた、というのが真相らしい。それに、千姫を与えるではなく、嫁ぎ先を探すのを頼まれたのが真実らしい)。

2009年04月17日

ヒヴァ・ハン国

ヒヴァ・ハン国は、17世紀後半から19世紀後半にかけて、アムダリア川の下流及び中流地域に栄えたテュルク系イスラム王朝。シャイバーニー朝、シビル・ハン国と同じくジョチ・ウルスのシバン家に属す王朝である。

シャイバーニー朝の祖アブル・ハイル・ハンの大叔父であるアラブ・シャーから分岐した家系で、その曾孫ヤーディガールの時代にホラズム地方を領有していたらしい。1512年、シャイバーニー・ハンがメルヴで敗死したとき、ヤーディガールの孫イルバルス・ハンは、サファヴィー朝に一時奪われていたホラズム地方を奪回し、麾下のウズベク諸部族を中核として、トルクメン系遊牧民、オアシス都市のイラン系、テュルク系の定住民を支配下に置き王朝を樹立した。

チャガタイ語の歴史書、『テュルクメンの系譜』および『テュルクの系譜』の著者であるアブル・ガーズィー・ハン(在位1644-63)などがいる。

当初はウルゲンチを中心としていたが、17世紀末にこのウルゲンチ・ハン国は、アムダリア川の河床の変化と関連して、首都をウルゲンチから移転してヒヴァを本拠にしたため、ヒヴァ・ハン国と呼ばれ始めた。

17世紀末から18世紀初めにかけて、ヨムド部族を主体とするトルクメン人の一部がヒヴァ・ハン国に移住した。トルクメン人の移住の原因となったのは、アムダリア川の旧河床への決壊だった。トルクメン人は、親衛隊として勤務する代価として、ハーンから土地を受け取った。

18世紀末から、トルクメン人は、ヒヴァ・ハン国の支柱となり始めた。彼らの土地は、北はアイブギルから南はザウングズ・カラクモフまで、西はウスチュルト及びサルイカムイシュまで広がった。

1873年5月、ヒヴァ・ハン国は、ロシア帝国の保護国となった。ロシア革命後、1920年にホラズム人民ソビエト共和国が成立したためヒヴァ・ハン国は滅亡した。その後、ヒヴァ・ハン国の領域はトルクメニスタンとウズベキスタンのカラカルパク自治州に分割された。

王朝 [編集]
ウルゲンチ(後にヒヴァ)のシャイバーニー朝(1512年-1804年)
イナク朝(1804年-1920年)

ナーゼ リズム チェリ ゲバラ 津田かぶ ハニカム ロジック ニーネ フィギ メートル ドニヒリズム チェーサー はこべ ジレン ジェミニ 次郎柿 ブリク テクノロ きない ニップレス ケイン そらの木 ギリソウ カレッ ヤルタ ミムルス 希望の橋 イメクラダ ブック ナチス ラーメ 幸福 ローボール かっさい シュリン オステ けたあみ バシリ ノニオ スイレ かめだ 西条柿 テント 小指 サイトミニ ばれいし デジパー ドライ マグネット バロメ


2009年04月02日

サンザシ

サンザシ(山査子)は、バラ科サンザシ属のひとつ、サンザシ(学名:Crataegus cuneata)のこと。または、サンザシ属(Crataegus)に含まれる植物の総称。

果実は、生薬、健康食品、ドライフルーツなどに使われる。

(狭義の)サンザシ(学名:Crataegus cuneata)
オオサンザシ(学名:C. pinnatifida、別名チャイニーズホーソーン)
セイヨウサンザシ(学名:C. oxyacantha、シノニムC. laevigata )

生薬 [編集]
(狭義の)サンザシ、オオサンザシの果実の干したものは、生薬名で山査子(さんざし)といい、消化吸収を助ける作用がある。加味平胃散(かみへいいさん)、啓脾湯(けいひとう)などの漢方方剤に使われる。
セイヨウサンザシの果実や葉は、心悸亢進、心筋衰弱などの心臓病に使われる。(ヨーロッパでのハーブとしての使い方)

サンザシ酒 [編集]
味は甘酸っぱく、一部の中華料理店などでは、中国酒として供されている。またオランダに本社を置くボルス、デ・カイパーなどのリキュールメーカーからは、スロージン(Sloegin)リキュールとして販売されている。

ドライフルーツ [編集]
果実を潰して、砂糖や寒天などと混ぜ、棒状に成形して乾燥させたものが多い。中国では、「山査子餅」(シャンジャーズビン)という円柱状に成形した後、薄くスライスして10円玉のような形状にしたものも多く、酢豚の様な料理に入れる場合もある。 ほかにも、果実をそのまま種子抜きして乾燥させ麦芽糖などでコーティングしたものもあり、この場合に限り含有成分から厚生省認可基準「ビタミンC含有栄養機能食品」にあたり表記ができる。
富有柿 クイッ リブート フットサ ラインス メスズ ファズ検索 ドックス イエロ ウィン だんがい ダーティー セント テープ サーチケ パラノイ モーゲージ ユーロ ムード ニュース チロロ レチノ サキソニ リピー プブック ヘデラ みそぎ タンバ 天王寺 火の鳥 イツァ タンタル はしゅ バイヤヤー レディネス フライト スロイス トレモロ 超特急 こたん はたけやま 応和 サウス テーベ シャレ トゴス スコッチ リーデー オフェンス ゲンノシ

菓子 [編集]
中国では「山査子餅」の他、「山査子糕」(シャンジャーズガオ)という平たい羊羹状の菓子も作られている。中国ではこの菓子を酢豚の酸味付けに使うこともある。

また竹串などに刺して、飴をかけた「冰糖葫芦」(ビンタンフール)という、りんご飴の様な駄菓子も街角で売られている。

2009年03月18日

ブラゴヴェシェンスキー大聖堂

ブラゴヴェシェンスキー大聖堂 [編集]
現在、カザン・クレムリンの建築中、最古とされるのが1554年から1562年にかけて建設された生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)である。同大聖堂は6つのピールと5つの張り出しを有する唯一のロシア正教会の16世紀における教会堂である。カザンの多くの建築物に見られるように、建設資材として煉瓦ではなくこの地方特産の砂岩を用いている。ちなみにこの大聖堂の設計者をポストニク・ヤコブレフであるとする説もあるが、推論の域を出ていない。大聖堂の鐘楼は、イワン雷帝の命により5層となった。鐘楼についてもモスクワ・クレムリンのイワン大帝の鐘楼 Ivan the Great Belltowerの類似が指摘されている。ロシア革命後の1930年ソビエト政府によって取り壊されたが、ソ連崩壊後に再建された。

スュユンビケ塔
スュユンビケ塔は、カザン・クレムリンのランドマークともいえる斜塔である。6層58メートルの偉容を誇るこの塔については資料が少なく、謎の多い建築としても知られている。建設された年代は、ピョートル大帝の時代ともいわれるが、一方でイタリアのサン・ステファノ・カリバリやボローニャのマジョーレ広場の影響を指摘する意見もあり、良くわかっていないのが実情である。スュユンビケの名称は、1800年にカザンが占領された際にこの塔から身を投げて亡くなった最後のカザン・ハーン妃の名前に由来するという。後述するスパスカヤ塔と構造上、相違点が大きい。スュユンビケ塔はクレムリン南端にあって、最下部はクレムリンへの主な出入り口として用いられている。歩行者制限は無いが、車両に関しては特に許可のある車両以外の通行は制限されている。

スパスカヤ(救世主)塔
スパスカヤ塔(スパースカヤ塔、救世主塔)の名称は、近くにあったスパースキイ修道院に由来する。1560年代にあった4つのピースを持つ聖ニコライ教会と、1950年代にあった6つの張り出しを持つ救世主変容聖堂は、修道院の一部だった。これらの寺院建築は、ロシア革命後、スターリン時代に撤去された。 カザン・クレムリンは城壁と塔によって囲まれている。これらは16世紀から17世紀にかけて建造され、その後、修復がおこなわれている。城壁と塔は、雪のように白く美しい。 城塞内部には、クル=シャーリフ・モスク(後述)が再建されて、白い城壁と一体化した美しい景観を形成している。イスラム建築とロシア正教会の教会建築が見事に融合し、調和の取れた景観を形作っている。
天の浮橋 ワインレッド ルバーブ 優しい響き マナー スピネル うむら タルブロク ドライブ ドマリエ スペツナズ シルク ダンネージ タイフーン かきょう ストリ 薪の音 次世代 スコア ロッジ まいこ ギャンブ リプリン リマーク しまやま フィト マリッジ ラニン オダマキ ジンバク ステップ フリー ストック ムッシュー かまど シンボリ トルクア ブルネイ メクチュ ライト ノッブ ソンブ 道のつづき ミノス マキシム データ ラチア ビンゴ シャド マキザサ

クル=シャーリフ・モスク [編集]
上述したように、カザン・クレムリンには元来、イスラム教を信仰していたカザン・ハン国によってクル=シャーリフ・モスクが建てられていたが、イワン雷帝のカザン侵攻によって破壊された。そのモスクがヨーロッパ最大級のイスラム教建築として再建されたのが、2005年6月24日のことである。再建に当たっては、17世紀にモスクのあった敷地(士官学校の敷地になっていた)が選定された。
この4つのミナレットを備えたモスクが完成したことに対する祝賀会には、約40ヵ国から1万7000人もの人々が参集した。

この他、カザン・クレムリン内の重要な建築としては、コンスタンチン・トーン(トン Konstantin Thon)設計によるタタールスタン共和国大統領宮殿(大統領官邸、もとのカザン県知事宮殿)がある。大統領宮殿が建つ場所はかつてのカザン・ハーンの宮廷があったと推定される。大統領宮殿とスュユンビケ塔に挟まれる場所に宮殿教会がある。中世期にはモスクがあった。

カザン・クレムリンの北側の城壁には、もう一つ門が備えられた塔がある。この塔は、秘密の上水道を備えていたことからタイニツカヤ(秘密)塔の名が付けられている。タイニツカヤ塔も城門があり、クレムリンへ入ることができるが、車両の出入りは緊急時のみに制限されている。

ソ連崩壊後から現在まで [編集]
現代のカザン・クレムリン、そしてカザンを語る上で、ソ連崩壊とタタールスタン共和国大統領であるミンチメル・シャイミーエフの影響を除外する訳にはいかない。1990年8月タタールスタンは、タタールスタン共和国国家独立を宣言し、ロシア連邦政府と対等な国家関係を指向する政治路線を採った。この政治路線は時としてモスクワの連邦政府との間に緊張を孕むこともあったが、シャイミーエフの老練な政治手腕によって最悪の事態は避けられ、1994年2月には連邦政府との間に二国間条約を締結し独自路線を明確化することに成功した(その後、中央集権を指向するプーチン政権の誕生で、独自路線は修正を余儀なくされたが)。

こうしたタタールスタン独自路線の中で、1990年に大統領官邸となったカザン・クレムリンに対しては、発掘調査が行われ、ヴォルガ・ブルガールやカザン・ハン国の時代に忠実な修復作業が行われることとなった。

1995年シャイミーエフはクル=シャーリフ・モスクの再建を命令する大統領令を出す。同時に、ソ連時代に破壊された生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)も再建することで絶妙なバランス感覚を示した。両者は、タタールスタンの独自路線とロシアによる攻略によって失われた歴史を完全なものとするという意味において重要なモニュメントであった。2005年6月のクル=シャーリフ・モスク再建祝賀会でシャイミーエフは、祝詞の中で「クル=シャーリフ・モスクは、カザンとタタールスタンの新たな象徴であり、過去と未来を繋ぐ架け橋である」ことを強調した。7月21日には、生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)でロシア正教会総主教アレクシー2世とともに1万人の参加者を前にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から返還されたイコン「カザンの生神女(Theotokos of Kazan)」を収める式典に出席した。


2009年03月03日

カート・ヴォネガット

1922年11月11日 - インディアナ州インディアナポリスでドイツ系四世として生まれる。この日は第一次世界大戦の終戦からちょうど3年目。ヴォネガットは自分が「休戦記念日」生まれであることを誇りとしており、後に「復員軍人の日」と名称が変更された際には苦々しい思いを抱いたようである。
1940年 - コーネル大学で生化学を学ぶ一方、学内紙『コーネル・デイリー・サン』の編集局長を務める。
1944年5月14日 - 母エディス(Edith Vonnegut)が睡眠薬自殺。「母の日」前日のこの悲劇は、生活の困窮や息子のドイツ戦線配属を苦にしたものという。
1945年 - 戦地から帰還し、幼馴染のジェーン・マリー・コックス(Jane Marie Cox)と結婚。
1945年-1947年 - シカゴ大学大学院で人類学を学ぶ。博士論文は受理されず。
1947年-1950年 - ゼネラル・エレクトリック社に務める。
1950年 - 短編『バーンハウス効果に関する報告書』(Report on the Barnhouse Effect)でSF作家カート・ヴォネガット・ジュニアとしてデビュー。広告業などと並行して作品を発表。
1951年 - マサチューセッツ州ケープコッドに居を移し、作家専業に。
1952年 - 初の長編『プレイヤー・ピアノ』刊行。
1963年 - 『猫のゆりかご』刊行。批評家から好意的にむかえられる。以降、学生たちを中心に徐々に人気を得る。
1965年-1967年 - アイオワ大学創作科で教鞭を執る。ジョン・アーヴィングは同科在籍中、ヴォネガットの薫陶を受けた。
1966年 - 既刊の全作品がペーパーバックで再版。反体制の若者たちの間で、熱狂的に支持されるようになる。
1969年 - 『スローターハウス5』刊行。
1970年 - 妻ジェーンと離婚。ヨギに傾倒する妻と確信的無神論者であるヴォネガットの間の宗教上の不一致が原因という。ヴォネガットは後に、写真家・児童文学者のジル・クレメンツ(Jill Krementz)と再婚。
1960年代後半 長男マーク(Mark Vonnegut 尊敬するマーク・トウェインからとられた名前。ヴォネガットは「新世代のマーク・トウェイン」とよばれた)が統合失調症の発作に苦しむ。マークは後にこの体験を『エデン特急 ヒッピーと狂気の記録』(The Eden Express 1975 みすず書房より邦訳)としてまとめた。
1976年 - 『スラップスティック』刊行。以後の作品はすべてカート・ヴォネガット名義。
1997年 - 『タイムクエイク』のまえがきにおいて、同書が長編としては「わたしの最後の本」になると表明し、以降はエッセイやイラストの発表、講演等を中心に活動。
2007年4月11日 - ニューヨーク市にて死去[1]。

ドレスデンの経験と『スローターハウス5』
1944年、ヴォネガットはアメリカ合衆国第106歩兵師団の兵士として第二次世界大戦の欧州戦線に参加した。バルジの戦いで捕虜となり、連れて行かれていたドレスデンで、同盟軍(英米の空爆部隊)によっておこなわれた空爆(いわゆるドレスデン大空襲。芸術品と謳われたドレスデン市街は壊滅、死傷者が10万人を超えたともいわれる第二次大戦中のヨーロッパで最悪の爆撃)を経験した。

この深刻な体験は、(ヴォネガット自身は否定するが)彼が作家になる契機、作家としての彼の根源的体験とも言われ、20年以上の時を経た『スローターハウス5』において初めて顕示的に主題化された。「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつない」という言葉通りの奇妙な形式をもつこの半自伝的作品によって、ヴォネガットは現代アメリカ作家として決定的な評価を獲得することになる。

また、『スローターハウス5』では60年代の諸作品(『母なる夜』、『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』)とならんで、『チャンピオンたちの朝食』以降の後期作に受け継がれていく特徴的なスタイル(架空の人物の自伝的形態を採る、まえがきを持つ、イラストの多用、印象的な挿話を連ねる)が全面的に展開されたことでも注目される。

キルゴア・トラウト
ヴォネガットの作品には、慈善家エリオット・ローズウォーター、ナチ宣伝員ハワード・W・キャンベル・ジュニア、ラムファード一族、トラルファマドール星人などの架空の固有名が複数の作品にまたがって登場する。

なかでもスタージョンをモデルに造形されたといわれるSF作家キルゴア・トラウトはヴォネガット自身の分身とも言われ、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』で初登場して以来、長編ではおなじみの人物であり、『タイムクエイク』では主役として活躍する。 『モンキーハウスへようこそ』以降、短編を著していないヴォネガットが、トラウトの小説のあらすじという形で短編用のアイデアを披露している点も見逃せない。

また、SF作家フィリップ・ホセ・ファーマーはキルゴア・トラウト名義で『貝殻の上のヴィーナス』(Venus on the Half-Shell 1975年)を発表し話題となった。

なお、ヴォネガット本人は「SF作家」とレッテル付けされるのを嫌ったが、一方で「現代の作家が、科学技術に無知であることはおかしい。」と主張し、ほとんどの作品でSF的なアイデアが使用されている。

その他
映画『バック・トゥ・スクール』(監督アラン・メッター 1986年)に、ヴォネガット自身の役で出演している。

日本での受容
日本においては1960年代後半から、翻訳家浅倉久志・伊藤典夫等によって精力的に紹介され、後の隆盛を準備した。
ボライズ ピーマン ストー トラ!トラ! ルワン クッツ フーリガン チレース ディーピー マルガリ カツレツ ストアブ オルゴ れいほく ステップ びゃくぐん 横野柿 ストア テーマ サルバド アクティブ ピンぼけ マドラー スコップ スメグマ ドティー スローフ レンチ フェン スロー ミリオン ブカレスト ロボトミ セラム 平和の種 ベルト ヤプー もらーど デンマーク サーンチー ピアノ はちろ パラソル スキップ ランダム モンブ ぶなしめじ セニョーラ ボンボン イアル

1980年代、日本でも認知がすすみヴォネガットブームとも言える状況が到来、主要な著作の大半が和田誠のカバーイラストを伴ってハヤカワ文庫SF(早川書房)より刊行され、多くのファンを獲得した。 ヴォネガットから影響を受けたとされる村上春樹(とりわけ『風の歌を聴け』)や高橋源一郎、橋本治等の若手作家たちの台頭もこの時期。

1984年には国際ペン大会に、ロブ=グリエ、巴金等と共にゲストとして来日し、大江健三郎とも会談。

爆笑問題の太田光はヴォネガットファンとして有名。彼らの所属事務所である「タイタン」の名称は『タイタンの妖女』と、『太田』の別読みをかけて付けられたものである。

また、漫画家である島田虎之介もヴォネガットからの影響を公言している。

2009年02月12日

アトラク=ナクア (ゲーム)

残虐非道・傲慢不遜・妖艶優美、邪悪でありながら時折人間味を覗かせる、非常に印象的で圧倒的な存在感を放つ初音のキャラクター性、怜悧で歯切れのよいテキスト、女の情念を描いたストーリー、戦闘シーンを盛り上げる秀逸なBGMにより、一部のプレイヤーに熱狂的なファンを得ている。

アリスソフトでは珍しく複数原画でなく原画が1人だったことや、ふみゃ氏の心情や情景描写に重きを置いたシナリオで、統一感の取れた雰囲気の作品になった。
王様 ケルピ つまごい まさめ ドンタ ラドン スラグ リリース れんがいろ イグアナ ジーユー プロデュポ 寛仁 日野菜 かやべ 睡蓮 リサーチ 鳥のくちばし ながぬま ロット シンビ ロゼ オフデイ トラン ナノチュ シエスタ サンリ ハイル ドルメン シンデレラ せーじ フットギア アムス チャル 雪うさぎ ファム あんず ディレッ ランプ マチュピ とうゆう 竜馬の如く イカオ 春夏秋冬 モンスーン ムイズ しゅくや ユニテリ リードオ パーセク

小説としては三人称多元形式に分類され、基本は主人公・初音の視点なれど、場合に応じて、その他の登場人物の生活描写へも切り替わる。狩る側と狩られる側、双方の視点でもって進行していく。

主人公・初音はあやかしの力で人の心の隙間に付け入り、贄として人の精気や肉体そのものを啜り喰らうが、カニバリズムの直接的な映像表現は無い。また、主人公の性質上、それぞれの登場人物の生死を左右する残酷な選択を、プレイヤーは幾度か迫られる羽目となる。

タイトルはクトゥルフ神話の大蜘蛛アトラク=ナクアから来ているが、本編とクトゥルフ神話に直接の関連性はない。本編では初音の他にも別の大蜘蛛が登場し、おそらくは其方がクトゥルフ神話のそれをモデルにしたと考えられる。企画やシナリオ執筆を担当したふみゃは、高橋葉介の漫画『夢幻紳士』の1エピソードからインスパイアされたと明言しており、そのエピソードの1コマに『Atlach=Nacha』と書かれた蜘蛛のスケッチが登場する。(ちなみに高橋葉介はそのエピソードは特撮番組『ウルトラQ』から影響を受けたと語っている)。

「アリスの館4・5・6ガイドブック」には後日談が載っている。

ストーリー
女郎蜘蛛である主人公比良坂初音は、宿敵である銀(シロガネ)との戦いで傷ついた体を癒し、再び銀と対決するため、とある学園に巣を張った。女生徒の一人として潜り込み、妖しの力によって人心を惑わせ、弄び、精を吸い、喰らってゆく為に。

そこで初音は不良達に輪姦されていたおとなしく気の弱い少女、深山奏子と出会う。彼女を気まぐれで助けた初音に、奏子は想いを寄せていく。

人を喰らう初音と、それを妨害する銀。邪悪な存在である初音と、聖職者を務める銀。一見、類型的な善悪対立の構図を匂わせる物語は、両者の全容が次第に明らかとなるにつれ、意外な展開を見せ始める。

登場キャラクター
比良坂初音(ひらさか はつね)
宿敵である銀(シロガネ)との戦いで傷ついた体を癒す為に八重坂高校に潜り込み、結界を張った主人公の女学生。長い黒髪に切りそろえられた前髪。赫い瞳。白い肌に身をつつむは、髪同様の黒いセーラー服。性格はしとやかで妖艶で古風、そして残酷。その正体は400年の時を生きる女郎蜘蛛。
人の記憶を操作しているため、昼間は転校生として沙千保の教室で疑われずに生活している。再びシロガネと戦う力を蓄える為、使用されていない空き教室で標的となった贄を待つ。人の心の隙間につけ入り、傷を広げ苛み弄び犯し精気を啜り、喰らう。
日常的なシーンでは、100年ぶりに人里に降り立ったために、世間一般の常識とかなりずれた所がある。
定番で類型的な古風なお嬢様キャラになりがちな外見であるが、赤い瞳かつ垂れ目、初音独特な古風な言葉使いなどが、普段は穏やかなのに残忍、丁寧な物腰なのに魔性を感じられ、凛々しいのに儚げといった相反する印象を与え、プレイヤーに非常に人気があるキャラクター。
深山奏子(みやま かなこ)
八重坂高校の一年生で資産家の娘。厳格な父やその命令を受けた使用人に行動を制限されている。不良達に輪姦され、脅されていたが、内気な性格と他人には相談できない事で世の中に絶望していた。八重坂高校に来た初音の気まぐれで不良達は惨殺され、結果として助かる。それ以来化け物である初音の正体を知りながらも、初音を「姉様(ねえさま)」として慕うようになる。
高野沙千保(たかの さちほ)
八重坂高校の二年生で初音のクラスメイト。体が弱いが、穏やかで人の良い性格で、転校生である初音に対しても優しく接する。渡辺鷹弘とは幼馴染で恋人同士。
渡辺つぐみ(わたなべ つぐみ)
八重坂高校の一年生で水泳部に所属する、奏子のクラスメイト。明るく元気で人懐っこい。鷹弘の妹で沙千保とも仲が良い。
渡辺鷹弘(わたなべ たかひろ)
八重坂高校の二年生で剣道部の主将を務める生徒会長。物静かで真面目で正義感が強い。女子生徒にも人気がある。沙千保の幼馴染で恋人。つぐみの兄。
葛城和久(かつらぎ かずひさ)
八重坂高校の二年生で大阪からの転校生。不真面目で軽くて明るい性格。授業にはあまり出ない。奏子の事を気にしており、からかったりしてつきまとう。奏子には嫌がられたりもするが、同時に癒しにもなっている。
八神燐(やがみ りん)
八重坂高校の三年生で弓道部に所属する、八神神社の巫女。学園に不浄な空気を感じ、清めの儀式をしている。多少霊感がある為か初音のまやかしが効きにくい。
銀(シロガネ)
初音より強大な力を持つ宿敵で、僧の姿をとる。初音との戦いで負った傷を癒している。初音の結界により、今は八重坂高校にいる初音を見つけることも出来ず、結界内にも入れない。

2009年01月26日

フランシス・プーランク

フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(Francis Jean Marcel Poulenc [f???sis ??? ma?s?l pul??k], 1899年1月7日-1963年1月30日)は、フランスの作曲家。フランス6人組の一人。彼は、声楽、室内音楽、宗教的楽劇、オペラ、バレエ音楽、オーケストラ音楽を含むあらゆる主要な音楽ジャンルの楽曲を作曲している。1950年7月のパリのプレス紙では、評論家のクラウド・ロスタンド氏に、その作風から、「ガキ大将と聖職者が同居している」と評された。
クシェット ショベル フットプ スターリン ツリー 一期 ワッフル シリコー フォル ミッド オパール パスカル ニシダ バシネット ネトル いなば ハント トルネード ローダー スパラキ おどろき プログム リベット グアヤ ケープ うわばみ 水鏡 いろは坂 ストア サイヒト マチア トレッカー タマシダ ぼちゃ 温順山椒 グロナス レディ オーバート SEOタイ ビュー ディス オフセン かゆばら ダビンチ ディマー カイアポ かもい ギタリ るすつ トケドー

プーランクの住んでいた家(パリ)彼はパリの裕福な家庭に生まれ、両親は敬虔なカトリック教徒であった。母親からピアノの手ほどきを受け、後にスペインの名ピアニスト、リカルド・ビニェスにピアノを師事し、シャルル・ケクランから作曲を学んだ。ビニェスの紹介によってエリック・サティ、ジョルジュ・オーリックら後のフランス6人組のメンバーと出会い、詩人ジャン・コクトーらのサロンに出入りするようになった。24歳のとき、ロシア・バレエ団を主宰するセルゲイ・ディアギレフの委嘱によってバレエ『牝鹿』を作曲し、翌1924年にロシア・バレエ団によってそれは初演されたが、脚本はコクトー、舞台と衣装はマリー・ローランサン、振付・主演はブロニスラヴァ・ニジンスカによるという極めて豪華なものだった。以来、軽妙洒脱で親しみやすいその作風は大衆に喜んで受け入れられたが、作曲活動だけでなく、バリトン歌手ピエール・ベルナックとによる自作歌曲のピアノ伴奏をはじめとして積極的に演奏活動もし、録音も残されている。

私生活では、両性愛者とされ、恋人の一人にラディゲがいたことが判っている。

作品の特徴
軽快で旋律に富むという面が、若き日の大家に見られた作風と共通するところから「モーツァルトの再来」と表現する者もいた。また、音楽の従来のあり方が多様化し旋律が崩壊した後の時代と比較され「メロディーを持つ20世紀最後の作曲家」と呼ばれたこともあった(その後、従来のような旋律の振る舞いを復活させる新しい動きが20世紀内にも起こったため、その表現は実際に正しくはなくなった)。そんな軽やかさや柔和さだけではなく、新古典主義の動きと並んで、バロックや古典派の時代のひとつの魅力である重厚な和音や厳格な振る舞いも、彼の作品の所々に好んで登場するのを見出すことができる。それはまた、カトリック教徒としての彼の一面が顔を覗かせているとも考えられる。それ以外には、当時のストラヴィンスキーが好んだ大胆で鮮やかな複調の響きを彼も特に好んで取り込み、旋律同士や和音同士をその手法によって重ねることが多く見られる。上記のように、軽快で旋律に富む一面と重厚な和音と振る舞いという一見正反対とも思える彼を「ガキ大将と聖職者が同居している」と評す者もいた。

和声的には、幼い頃から七の和音よりも九の和音や十一の和音を好んだことが知られており、それらがある意味、彼の魅力としての艶やかな色彩、たおやかな雰囲気を長年支えてきたとも言える。また、脈絡のない多様な楽句を楽しみながら連結させることによってただ先へと曲を進めるのも彼の作品にたいへん多く見られる手法であるが、逆に、主題や素材を展開させながら知的に構築することは非常に苦手とされる。曲の構成は、多くは単純明快なものによっており、もしくは即興的な志向の曲はスケッチ的に仕上げられている。

作品
管楽器やピアノのための室内楽曲、宗教曲に優れた作品が多い。

オペラ
『ティレジアスの乳房』
『カルメル派修道女の会話』
『人間の声』
管弦楽曲
バレエ音楽『エッフェル塔の花嫁花婿』(合作)
バレエ音楽『牝鹿』
バレエ音楽『模範的動物たち』
『フランス組曲』(管楽器、打楽器、チェンバロ、ハープ)
『2つの行進曲と間奏曲』(室内管弦楽)
シンフォニエッタ
マルグリット・ロンの名による変奏曲(合作)
協奏曲
2台のピアノと管弦楽のための協奏曲 ニ短調
ピアノ協奏曲
クラヴサンと管弦楽のための田園のコンセール(田園協奏曲)
ピアノと18の楽器のための舞踊協奏曲「オーバード」
オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲
室内楽曲
六重奏曲(フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット、ピアノ)
ホルン、トランペット、トロンボーンのための三重奏曲
ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲
ヴァイオリンソナタ
チェロソナタ
フルートソナタ
オーボエソナタ
2本のクラリネットのためのソナタ
クラリネットソナタ
クラリネットとファゴットのためのソナタ
バガテル(ヴァイオリンとピアノ)
エレジー(悲歌)(ホルンとピアノ)
付随音楽「城館への招待」?クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲
器楽曲
2台のピアノのためのソナタ
シテールへの船出(2台のピアノ)
ピアノ連弾ソナタ
3つのノヴェレッテ(ピアノ)
ナゼールの夜会(ピアノ)
15の即興曲(ピアノ、第12曲『シューベルトを讃えて』・第15曲『エディット・ピアフを讃えて』)
合唱曲
人間の顔
スターバト・マーテル
悔悛のための4つのモテット(悔悟節のための… という邦題もある)
クリスマスのための4つのモテット
O Magnum Mysterium
Quem Vidistis Pastores Dicite
Videntes Stellam
Hodie Christus Natus Est
グローリア
アヴェ・ヴェルム・コルプス
アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り
テネブレの7つの応唱
歌曲(多数)
朗読とピアノ
子象ババールのお話(日本語にも翻訳されているジャン・ド・ブリュノフの絵本による音楽物語)

2009年01月18日

アイスランド議会はキリスト教に票を投じるが

民戦争を避けるため、アイスランド議会はキリスト教に票を投じるが、キリスト教から見ての異教崇拝を、幾年もの間自宅での隠遁の信仰で耐え忍んだ。一方スウェーデンは、11世紀に一連の市民戦争が勃発し、ウプサラの神殿の炎上で終結する。イギリスでは、キリスト教化がより早く散発的に行われ、稀に軍隊も用いられた。弾圧による改宗は、北欧の神々が崇拝されていた地域全体でばらばらに起っている。しかし、改宗は急に起こりはしなかった。キリスト教の聖職者達は、北欧の神々が悪魔であると全力を挙げて大衆に教え込んだのだが、その成功は限られたものとなり、ほとんどのスカンディナヴィアにおける国民精神の中では、そうした神々が悪魔に変わることは決してなかった。

キリスト教化が行われた期間は、例としてローヴェン島やベルゲンを中心に描かれている。スウェーデンの島、ローヴェン島における墓の考古学的研究では、キリスト教化が150から200年かかったとされ、場所も王侯貴族が住んでいた所に近かった。同様に騒々しく貿易が行われた町ベルゲンでは、ブリッゲン碑文の中に、13世紀のものと思われるルーン文字の碑文が見つかっている。その中にはトールに受け入れられますように、オーディンに認められますように等と書かれたものがあり、キリスト教化が進んでいる世界で、古ノルド語の魔術ガルドル(セイズ (Seid) とも)も描かれている。記述の中にはワルキューレのスケグルに関するものもあった。

14世紀から18世紀にかけての記述はほとんどないものの、オラウス・マグヌス(1555年)のような聖職者は、古くから根づく信仰を絶滅させることの難しさを書いた。この物語はハグバルドとシグニューの恋愛物語のように、快活に描かれた『スリュムの歌』にも関連しており、どちらも17世紀と19世紀終わりごろに記録されたと考えられている。19世紀と20世紀に、スウェーデンの民族学者達は一般の人々が信じ、北欧神話における神々の残存する伝承を記録したが、その当時伝承は結集されたスノッリによる記述の体系からはかけ離れたものであったという。トールは数々の伝説に登場し、フレイヤは何度か言及されたが、バルドルは地名に関する伝承しか残っていなかったそうである。

特にスカンディナヴィアの伝承における霊的な存在のように、認知されてはいないが北欧神話の別の要素も残されている。その上、北欧の運命の考え方は現代まで不変のものであった。クリスマスにブタを殺すスウェーデンのしきたり(クリスマス・ハム)など、ユール伝承の原理も多くが信じ続けられた。これはもともとフレイへの生贄の一部であった。

現代への影響
曜日 起源
月曜日 Monday 月の日
火曜日 Tuesday テュールの日 Tyr's (Tiw's) day
水曜日 Wednesday オーディンの日 Odin's (Wodin's) day
木曜日 Thursday トールの日 Thor's day
金曜日 Friday フリッグまたはフレイヤの日 Frigg's / Freyja's day
土曜日 Saturday ローマ神話のサターンより。北欧の神が由来ではない
日曜日 Sunday 太陽の日 Sun's day
レザー ホオズキ テレサイ スアレ 元亀 スリーブ アンス ファイフ テストパ 宇宙戦艦 ダーク アレン インロ デグー 赤いランプ 索ゴブレット トフル 男泣き ブロー キウイ ナーヤ ヒオウギ りょう カーブ ラワン ステッチ クイン きょっこう ブラッ きくもん まきえ 影の館 シリマリ クアッド 戦国合戦 ジャン サムネ ワーク シャイツ サイバ セルドレ ビュッフ 木漏れ日 シアター タムウ アココ オーニ ケンブ トークシ アネク

ゲルマンの神々は現代において、ゲルマン語派が話されている多くの国々における生活や語彙に数々の足跡を残している。一例として、曜日の名称が挙げられる。ラテン語における曜日の名称(Sun, Moon, Mars, Mercury, Jupiter, Venus, Saturn)を基にして作られた火曜日から金曜日までの名称は、それぞれのローマ神話の神々に相等する北欧の神々に取って代わった。英語の土曜日(Saturday)はサターンが起源とローマの神に由来するが、ドイツ語では土曜日のザムスターク(Samstag)は Sabbath から付けられたもので、スカンディナヴィア地方では「洗濯日」と呼ばれている。

ゲルマン・ネオペイガニズム
最近ではヨーロッパとアメリカ合衆国の2つの地域において、「ゲルマン・ネオペイガニズム」として古きゲルマン宗教を復興しようとする試みが行われている。これらはアサトル、オーディニズム、ヴォータニズム、フォーン・セド(Forn Sed)またはヒーゼンリィという名の元に存在している。アイスランドでは、アサトルが1973年に国家公認による宗教として認められ、結婚や子供の名づけ方、その他の儀式においてこの宗教の介入が合法化された。アサトルはかなり新しい宗教ではあるものの、北欧諸国で公認または合法の宗教として認知されている。

現代の大衆文化
北欧神話はリヒャルト・ワーグナーの作品『ニーベルングの指環』を構成する4つのオペラの題名に使用され、同じく北欧神話をモチーフにした他の作品への基盤となった。

その後に製作された、J・R・R・トールキンの『指輪物語』も、キリスト教化以前の北方ヨーロッパにおける固有の信仰に、非常に影響を受けた作品と言える。この作品が人気を呼ぶにつれ、そのファンタジー要素は人々の感性や他のファンタジーのジャンルを、絶えず揺り動かしている。近代的なファンタジー小説にはエルフやドワーフ、氷の巨人など、北欧の怪物達が多く登場する。のちの時代になって北欧神話は、大衆文化や文学・フィクションにおいて、多くの影響を残しているのである。