1922年11月11日 - インディアナ州インディアナポリスでドイツ系四世として生まれる。この日は第一次世界大戦の終戦からちょうど3年目。ヴォネガットは自分が「休戦記念日」生まれであることを誇りとしており、後に「復員軍人の日」と名称が変更された際には苦々しい思いを抱いたようである。
1940年 - コーネル大学で生化学を学ぶ一方、学内紙『コーネル・デイリー・サン』の編集局長を務める。
1944年5月14日 - 母エディス(Edith Vonnegut)が睡眠薬自殺。「母の日」前日のこの悲劇は、生活の困窮や息子のドイツ戦線配属を苦にしたものという。
1945年 - 戦地から帰還し、幼馴染のジェーン・マリー・コックス(Jane Marie Cox)と結婚。
1945年-1947年 - シカゴ大学大学院で人類学を学ぶ。博士論文は受理されず。
1947年-1950年 - ゼネラル・エレクトリック社に務める。
1950年 - 短編『バーンハウス効果に関する報告書』(Report on the Barnhouse Effect)でSF作家カート・ヴォネガット・ジュニアとしてデビュー。広告業などと並行して作品を発表。
1951年 - マサチューセッツ州ケープコッドに居を移し、作家専業に。
1952年 - 初の長編『プレイヤー・ピアノ』刊行。
1963年 - 『猫のゆりかご』刊行。批評家から好意的にむかえられる。以降、学生たちを中心に徐々に人気を得る。
1965年-1967年 - アイオワ大学創作科で教鞭を執る。ジョン・アーヴィングは同科在籍中、ヴォネガットの薫陶を受けた。
1966年 - 既刊の全作品がペーパーバックで再版。反体制の若者たちの間で、熱狂的に支持されるようになる。
1969年 - 『スローターハウス5』刊行。
1970年 - 妻ジェーンと離婚。ヨギに傾倒する妻と確信的無神論者であるヴォネガットの間の宗教上の不一致が原因という。ヴォネガットは後に、写真家・児童文学者のジル・クレメンツ(Jill Krementz)と再婚。
1960年代後半 長男マーク(Mark Vonnegut 尊敬するマーク・トウェインからとられた名前。ヴォネガットは「新世代のマーク・トウェイン」とよばれた)が統合失調症の発作に苦しむ。マークは後にこの体験を『エデン特急 ヒッピーと狂気の記録』(The Eden Express 1975 みすず書房より邦訳)としてまとめた。
1976年 - 『スラップスティック』刊行。以後の作品はすべてカート・ヴォネガット名義。
1997年 - 『タイムクエイク』のまえがきにおいて、同書が長編としては「わたしの最後の本」になると表明し、以降はエッセイやイラストの発表、講演等を中心に活動。
2007年4月11日 - ニューヨーク市にて死去[1]。
ドレスデンの経験と『スローターハウス5』
1944年、ヴォネガットはアメリカ合衆国第106歩兵師団の兵士として第二次世界大戦の欧州戦線に参加した。バルジの戦いで捕虜となり、連れて行かれていたドレスデンで、同盟軍(英米の空爆部隊)によっておこなわれた空爆(いわゆるドレスデン大空襲。芸術品と謳われたドレスデン市街は壊滅、死傷者が10万人を超えたともいわれる第二次大戦中のヨーロッパで最悪の爆撃)を経験した。
この深刻な体験は、(ヴォネガット自身は否定するが)彼が作家になる契機、作家としての彼の根源的体験とも言われ、20年以上の時を経た『スローターハウス5』において初めて顕示的に主題化された。「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつない」という言葉通りの奇妙な形式をもつこの半自伝的作品によって、ヴォネガットは現代アメリカ作家として決定的な評価を獲得することになる。
また、『スローターハウス5』では60年代の諸作品(『母なる夜』、『タイタンの妖女』、『猫のゆりかご』)とならんで、『チャンピオンたちの朝食』以降の後期作に受け継がれていく特徴的なスタイル(架空の人物の自伝的形態を採る、まえがきを持つ、イラストの多用、印象的な挿話を連ねる)が全面的に展開されたことでも注目される。
キルゴア・トラウト
ヴォネガットの作品には、慈善家エリオット・ローズウォーター、ナチ宣伝員ハワード・W・キャンベル・ジュニア、ラムファード一族、トラルファマドール星人などの架空の固有名が複数の作品にまたがって登場する。
なかでもスタージョンをモデルに造形されたといわれるSF作家キルゴア・トラウトはヴォネガット自身の分身とも言われ、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』で初登場して以来、長編ではおなじみの人物であり、『タイムクエイク』では主役として活躍する。 『モンキーハウスへようこそ』以降、短編を著していないヴォネガットが、トラウトの小説のあらすじという形で短編用のアイデアを披露している点も見逃せない。
また、SF作家フィリップ・ホセ・ファーマーはキルゴア・トラウト名義で『貝殻の上のヴィーナス』(Venus on the Half-Shell 1975年)を発表し話題となった。
なお、ヴォネガット本人は「SF作家」とレッテル付けされるのを嫌ったが、一方で「現代の作家が、科学技術に無知であることはおかしい。」と主張し、ほとんどの作品でSF的なアイデアが使用されている。
その他
映画『バック・トゥ・スクール』(監督アラン・メッター 1986年)に、ヴォネガット自身の役で出演している。
日本での受容
日本においては1960年代後半から、翻訳家浅倉久志・伊藤典夫等によって精力的に紹介され、後の隆盛を準備した。
ボライズ ピーマン ストー トラ!トラ! ルワン クッツ フーリガン チレース ディーピー マルガリ カツレツ ストアブ オルゴ れいほく ステップ びゃくぐん 横野柿 ストア テーマ サルバド アクティブ ピンぼけ マドラー スコップ スメグマ ドティー スローフ レンチ フェン スロー ミリオン ブカレスト ロボトミ セラム 平和の種 ベルト ヤプー もらーど デンマーク サーンチー ピアノ はちろ パラソル スキップ ランダム モンブ ぶなしめじ セニョーラ ボンボン イアル
1980年代、日本でも認知がすすみヴォネガットブームとも言える状況が到来、主要な著作の大半が和田誠のカバーイラストを伴ってハヤカワ文庫SF(早川書房)より刊行され、多くのファンを獲得した。 ヴォネガットから影響を受けたとされる村上春樹(とりわけ『風の歌を聴け』)や高橋源一郎、橋本治等の若手作家たちの台頭もこの時期。
1984年には国際ペン大会に、ロブ=グリエ、巴金等と共にゲストとして来日し、大江健三郎とも会談。
爆笑問題の太田光はヴォネガットファンとして有名。彼らの所属事務所である「タイタン」の名称は『タイタンの妖女』と、『太田』の別読みをかけて付けられたものである。
また、漫画家である島田虎之介もヴォネガットからの影響を公言している。